「待つ」を再考する

子どもが不登校になった初期の段階では
親は登校刺激をせず、動けるようになるまで
待つことが大切だとよく言われます。

 
最初の間はご家族も無理させてはいけないと
思い、動き出すまでとにかくゆっくり
させようとすることが多いと思います。

ところが、時間が経つと、一体、いつまで
待てば子どもが動けるようになるのかわからず
ご家族が不安になってきます。

そこでご家族が不安に勝てなくなると、
「そろそろどこかに通ってみる?」などの
働きかけが子どもに対して始まることがあります。

 

これまでもお話もしてきましたし、書店に並ぶ
たくさんの本の中で、多くの有名な先生方も
この「待つ」ということについて書かれています。

ですので、今さら私がお話しするまでもないのですが、
ふと、最近、気になっているので、少しお話を
してみたいと思います。

 

まず、ここで、根本的なことから考えてみたいと
思います。

誰が待つのか?
何を待つのか?
どうして待つのか?
どのように待つのか?
いつまで待つのか?

5W1Hのwhere以外はすべて当てはまるのですが、
このことについて具体的に考えてみたいと思います。

 

まず、「誰が待つのか?」
これは当然、不登校やひきこもっている子どもの
「親」が待つことになります。これはいいでしょう。

 

「何を待つのか?」
「子どもが動き出すのを待つ」に決まっているだろう!
とお叱りを受けるかもしれませんね。
そうでしょうか…。

 

「どうして待つのか?」
子どもが不登校やひきこもり状態で、動けないくらい
辛くしんどい状態であるから、動けるようになるまで
待ってあげないといけない。

確かにそうですが…。だとすると、動いているから
いいということになりませんか?

 

「どのように待つのか」
子どもが社会に出て行けるようになるまで、できることを
一生懸命して待つ。
できることって何でしょう?

「いつまで待つのか」
子どもが社会に出て行けるようになるまで待つ。
これは確かにそうです。それしかありません。

どうやら最初と最後は納得ができるのですが、
残りの3つは少し考え直してもいいように
思います。

 

不登校であっても、ひきこもりであっても、
現在の状態は必ずこれまでの状態の延長に
あるはずです。

 

今、目の前に起きていることは、過去のできごとの
延長上に起きていることだと考えて、今までのことを
振り返ってみる必要があると思います。

 

そんな視点で、しばらく考えてみたいと思います。
長くなりましたので、続きは次回にお話したいと
思います。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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